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版画の指導と普及にも大きな役割!!!平塚 運一(ひらつか うんいち)の木版画作品

平塚 運一(ひらつか うんいち)
島根県出身。「創作版画」を確立し、国画会版画部の創設にも尽力。
棟方志功(むなかた しこう)や畦地 梅太郎(あぜち うめたろう)などを教え、版画の指導と普及にも大きな役割を果たした。
初期は木口木版や多色摺が中心。
渡米前までの飛躍の時代は黒白版画の境地を開いた。
成熟期から晩年は渡米先で裸婦シリーズを大成した。
関東大震災以後、モダン都市へと変貌してゆく東京の風景、そして彼の暮らした落合地域の風物など、独自の力強い刻線で描かれた黒白木版画の世界、白と黒に整理され単純化された画面は、写実的な表現をこえて、ときに抽象的にときに象徴的に、風景を描きだしている。

1895(明治28)年 島根県松江市に生まれる。
1913(大正2)年 石井柏亭の洋画講習会に出席。
1924(大正13)年 山本鼎の農村美術研究所の講習会で、木彫の額縁な
どを教える。
1925(大正14)年 仏教美術、古瓦の研究と収集が始まる。
1931(昭和6)年 国画会に版画部が創設、部会を担当。
1935(昭和10)年 東京美術学校に版画教室開設、木版担当。
1958(昭和33)年 ルガノ国際版画ビエンナーレ招待出品。
1962(昭和37)年 渡米、ワシントンD.C.に落ち着く。
1963(昭和38)年 この頃より以後全米各地で個展、実演を開催。
1968(昭和43)年 「裸婦百態」シリーズを手掛ける。
1977(昭和52)年 勲三等瑞宝章受賞。
1991(平成3)年 須坂市に「平塚運一版画美術館」完成。
1997(平成9)年 102歳没。
2011-10-14 16:31:25

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版画の指導と普及にも大きな役割!!!平塚 運一(ひらつか うんいち)の木版画作品
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ひろしま専門店 ビーグラッド